プログラマに必要な能力

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最新の技術は必要だろうか

プログラマに必要な能力を考える。ありきたりな考えだと、数学と英語ができること。そして、技術を追い求め続けることができる意欲だろうか。数学や英語はわかる。数学ができなければプログラムの性能にかかわるコードは書けないし、英語ができなければ、エラー文はおろか技術情報も読めないだろう。しかし、最新の技術を追い求めることは果たして必要な能力なのだろうか。

汎用性が低い

最新の技術は、それこそ新しい知識だったりテクニックだったりする。新しい知識を手に入れて新しい作法でコーディングをおこなう。それは悪くはないが、このことは一方で別の弊害ももたらすことも忘れてはならない。つまり、汎用性が低い点がある。そして、なんども修正する手間が生じることである。汎用性を意識して変化に強いコーディングを行なっても、次々に新しいものを取り入れて修正を加えれば、それらが無意味と化してしまう。したがって、新しい技術にとらわれるのは、プログラマにとってはもろ刃の剣になる。

まずは判断基準をつくってから

つまり、最新の技術は必要悪なのである。使って損することはあるし、得することもある。「ただし」という条件付きで、その技術の有用性を吟味・検討してからになるが。それよりも基本的な知識を学び、自分なりの判断基準を設けてから開発できるようになるのが賢明である。判断基準は、教養といいかえることもできるだろう。プログラマの教養を身につけ、その上で最新の技術を活用する必要があれば、活用するのである。

判断基準の身につけ方

では、判断基準を身につけるにはどうしたらいいのか。先ほどは、「基本的な知識を学んでから」と書いた。基本的な知識を身につけたら、自ずと判断基準も養ってくるだろうと。確かに知識を身につけることは大前提としてある。ただし、それだけでは足りないのである。具体的には、国語力、つまり論理的な力を身につけることによって、それが可能になるのである。

国語力が必要

国語力は、とくにプログラマにとっては軽視されがちな能力である。恐らくは「自分には日本語ができるから十分」だとか「技術さえできたらいいだろう」とかそういった偏見があるからだろうが、見過ごされやすいものである。しかし、国語力はそういった浅い考えとは根本から異なるものである。国語力はただ正確にマニュアルを読むためのものではなく、技術を伝えるだけのツールではないのである。つまり、論理的にものを考え、論理的にものを伝える能力。それこそが国語力なのである。国語力がなければ、たとえ正確に知識を身につけたとしても、深く掘り下げた議論を行うことはできないだろう。知識を結ぶ論理がないからである。

国語力を身につけるには

では、国語力を身につけるには何をし、どうしたらいいのだろうか。まず、ただ漠然と本を読むのをやめることである。具体的には、正しい本の読み方を身につけることから始める。正しい本の読み方を身につけるということは、方法論を身につけるということである。それには以下の本を参考にするのがよい。

①増補版 大人のための国語ゼミ (単行本) 野矢 茂樹
②論理トレーニング101題 野矢 茂樹

①の本は、本の要約の仕方から接続詞の捉え方まで、具体的に示している。②の本は、①の接続詞をより詳しく分析し、読めるような構成にしている。①で国語力の基礎を学び、②でより深く読み込めるトレーニングを行う。これらの参考書に書かれてる方法論を身につけることで、はじめて判断基準を身につけることができるのである。国語力をおろそかにしていたプログラマも、ぜひこれらの本に取り掛かることを強くお勧めする。

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