日本人が知るべき議論の意味

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議論と討論

議論の誤解

SNSはネットに登場してから久しいが、多くの日本人は未だに議論の意味を理解していないように思われる。これは対立を恐れる文化から来ているのだろうか、議論を討論と履き違えている人が多い。また、学校教育で議論の仕方を教わっていないのも原因としてある。しかし、議論の意味を誤解したままでいると、政治や社会といったテーマについて他者と意見を交えないまま、たとえ交えたとしても交友関係に軋轢を生んでしまい、よくない影響が出てくるだろう。議論は覚えることは少ないだけに非常に損をしてしまっている感がある。

議論の意味

では、議論とはどういった意味だろうか。結論からいえば、議論はお互いの考えを深めるためのツールのことを指す。そのテーマについて賛成にせよ反対にせよ、お互いの意見を聞く。いいところがあれば認め合い、おかしなところがあれば指摘する。そういった対話の意味を担っている。相手を言い負かすための詭弁やレトリックを使うことは是としない。どちらが勝つか負けるかを重要視しない。互いの意見について尊重し合い、けなし合うことはしないのである。

討論の意味

それに対して、討論とはどのような意味を持つだろうか。一般的には賛成と反対の立場があって、それについて勝敗をつけるのが討論の意味であろう。しかし、討論は単純にそういったものだけではなく、口喧嘩の意味合いが強いのである。つまり、自分の意見を正すために相手を言い負かすことを好み、たとえ穴があったとしてもそれを認めようとしない。非常にネガティヴな要素がある。

まとめ

まとめると、議論は相手との対話であり、討論は相手と喧嘩をすることを意味する。このように、議論と討論とではそれらの目指す方向が違うのである。議論は自分の考えを深められるが、討論はそうではない。人間関係に軋轢を生む原因にもなるだろう。したがって、私たちが目指すのは前者の議論の方である。

討論から議論へ

相手の主張を認める

では、この口喧嘩から議論へ発展させるにはどのような方法があるだろうか。一つの手としては議論のルールを定めることであるが、まずは相手の主張を認めることから始めるのが先決だろう。自己主張ばかりして相手の主張を認めることができなければ、議論を成立させることはできない。そうではなく、受容という概念を取り入れ、相手の立場になって受け入れるのである。討論では言い負かすことが目的であるが、議論は相手の言い分を理解することが重要である。

国語力を身につけること:おすすめの本

議論はこの受容という心がけから始まる。しかし、それだけやっておけば議論ができるようにはならない。ただ受け入れるといっても、受け入れるための準備が必要だからである。順番が前後してしまうが、準備というものは国語力をつけることである。この国語力は一朝一夕で身につくものではなく、以下のような本を使って国語力を鍛えるべきである。議論を始めるにも勉強する必要があるのである。

「社会人入試の小論文」は議論に必要な国語力を一通り網羅している。そのため、これをやり遂げたときには議論の仕方が傍観できると思われる。要約の方法から自分の意見へスムーズにつなげることができ、また意見の出し方もこの本から吸収することができる。その補強として「論理トレーニング」をおすすめしたい。この本は接続詞の重要性について言及しているため、その意味で議論に必要な言葉のつながりを意識できるようになるだろう。また、質問の出し方も必要に応じて解説してある。以上のことができれば、相手を受け入れる準備ができたといってもよい。

受容する力をつけること:おすすめの本

次に、実際に相手の受け入れ方であるが、掘り下げて勉強したい人は以下の本をおすすめする。別にこの本は読む必要はないが、読んでおいて損はない程度として受け取っていただければ幸いである。

発売された日は少々古いが、何もカウンセリングの専門家を目指すわけでもないので、基本をおさえるならこれで十分である。「カウンセリングの理論」によって相手の受け入れ方を学ぶ。ただし、この本が読みにくければ以下の本を読む方がいいのかもしれない。

この本は著者の実際の臨床体験からのカウンセリングを書いている。失礼ながら詳しい内容は忘れてしまったが、受容という基本はこの本から教わった。議論とカウンセリングは一見違う概念に思われるが、これらの本を読むことで、受容することの重要性を身につけることができるだろう。

議論の方法

上記のことができれば議論するための素地は整ったといえる。最後の総仕上げとして「議論のレッスン」を読むことをおすすめしたい。

 

 

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